競争社会


    2024年2月2日

    男性は子供産めない。女性は長い髭をはやせない。これって性差でなかなか超えられない壁ですよね。

     ここで、たまたま読んだ論文が面白かったので紹介します。Gneezy, U., M. Niederle, and A. Rustichini. 2003. "Performance in Competitive Environments: Gender Differences." Quarterly Journal of Economics, vol.118, pp. 1049-1074. より

     ある課題をこなしてもらいます。その時、一つの課題をこなすと等しくincentiveがもらえる環境を作ります。一方で、課題をこなすことに優劣を付けて課題をより効果的にこなせたらより多くのincentiveがもらえる。つまり、効果的にこなす優劣に順番を付けて順位の高いヒトの方がより多くのincentiveがもらえる、いわば競争原理を環境に持ち込んだわけです。

     そうするパフォーマンスやモチベーションにおいて前者では、男女差が認められませんでしたが、後者では、有意に(顕著に)女性が男性に比べて劣っていたそうです。つまり、女性は男性に比べて有意に「競争」を好まないということです。

     競争原理が働くと女性のパフォーマンスが格段に下がるというわけです。逆に環境に競争原理を持ち込まなければ、実力が発揮できるというわけです。これって、女子大で教鞭を取る身としては、何かにうまく利用できないかと思ったわけです。もし、何かideaがあればお知らせ下さい。

     一方で、女性にはやはり「公平」「公正」が重要なんだと改めて認識した次第です。それにしても面白い実験でした。

     栄養学を研究していますが、経済学も実に面白い!(笑)

    理系と文系


    2024年1月1日

     素数が出てくる規則性はあるのか? これはアメリカのクレイ数学研究所が出しているミレニアム懸賞問題の一つである「リーマンの予想」です。このリーマン予想を解くには、リーマン・ゼータ関数の自明でない零点の間隔の分布が分かれば解けることになりますが、未だ解明されていません。

     一方、原子核のエネルギー準位モデルであるランダム行列理論(RMT)の式が、この分布を解く鍵となる公式と酷似していることが知られています。つまり、リーマン・ゼータ関数の零点の正規化された間隔は、ランダム行列理論を使った重い原子核のエネルギー準位の間隔と同様に、対相関関数として次式で表されます。

    モンゴメリー・オドリズコ予想

     いったい何のこと? 難しい話はここまでにして、要するに何が言いたいかと言いうと、素数という純粋数学と原子核のエネルギー準位という全く異なる分野の事象が実はつながっているのかも知れない,,, もし、これが証明されれば数の世界が森羅万象と関係があるという壮大な話に発展していきます。

     そうなると、私は数学者、私は物理学者というような、学問の垣根とは何なのでしょうか? 学問の専門性とは何なのでしょうか? よく、会議の場で「それ、私の専門とは異なるので答えられません」という方がいます。本当の専門性とは何なのでしょうか???文部科学省のサイトに面白い記事がありました。

    (https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317573.htm)

    学制百年史という記事の「一.学術の発展」を読むと、要するに、日本は明治維新でいきなり何もかもがコペルニクス的転回! 学問も例外ではなく、語学が中心だったそれまでの学問が外国からいきなり西洋のそれ以外の学問(工学、医学など)が入ってきたものですから摂取して学術的研究を展開するまでには至らなかったようです。そのため、急ピッチに近代的な科学と技術の基礎を急速に築こうとしていたアタフタぶりが伺い知れます。一事が万事このような感じだったので、結局は、「学問の礎」を築くことなく、各分野が独立して学術的研究を進める情勢となっていったようです。これが、明治二十年代頃の近代科学発展への創始時代でだったようです。

     ここで、与えられた学問だったので「学問の礎」が取り残されてしまった日本と5000年前からリベラルアーツを行ってきた西洋では、学問の取り組み方が異なってくるのも自明の理です。本来、学問の礎とは「哲学」につながり、例えば「ヒトは何のために生きるのか?」「ヒトはなぜ死ぬのか?」シンプルな疑問に対して、様々な角度から問いかけ、検証するする「哲学」こそが重要になるのかと思います。だから、博士号はPh.D. つまり、Philosophy of Degree となるわけです。要するに、何か課題を見つけてきて、この課題を解くための道筋をつけることができて、問題解決能力を有する人に大学は「学位」を与えるわけです。ですから、どの分野で学位をとってもPh.D.なのです。

     そうなると学問の礎を解くためには、時には医学、時には倫理学、時には生物学、時には哲学、時には、時にはと色々な学問分野が包括的に必要になってくるはずです。話を戻すと、専門性とは何か? 実は、「専門」なる学問的な垣根はそれほど重要ではなく、その問題を解決するためにどの分野の学問を使えば問題が解決するかを見極めることが重要で専門性に拘って問題解決を回避することは、本当に学問と言えるのか? 甚だ疑問です。

     ただ、現代は、各分野の研究が深化しているため、色々なヒトと組まないと問題が解決しないのは事実です。その意味では、Specialistは必要であり、自身も何らかの分野のSpecialistになる必要があります。そして、Specialistが何人か組んで問題解決が図られていくのかと思います。つまり「私の専門ではないので」という発言は学問が分かっているヒトは言わない言葉とか私には思えてなりません。

     最後に、このように考えていくと、「理系」「文系」の垣根はなく、課題を解決するためには何が必要か、必要なものが自分に備わっていなければ、その道のSpecialistである他者と組むことで、解決すべき学術的問いを解いていくことこそが重要だと思います。

     これは、決してGeneralistになれということではなく、Specialistになるための専門性と問題解決に必要な論理性と視野の広さ(Bird of View)が求められるのかと思います。要するに、理系だの文系だの、はたまた(狭義の意味での)専門性がどうのこうのなど言っていることは、実に陳腐なことなのかと私には思えてなりません。

    影響を受けることについて


    2023年9月21日

     今日は、然したる理由は無かったのですが、たまたまうちのゼミ生(4年生)が 溜まっていたので、ケーキを差し入れしました。4年生は、来年2月末か3月頭の管理栄養士の国家試験の足音が少しづつ聞こえてくる時期になってきました。今年はまだまだ残暑ですが、秋になって少し涼しくなってくると、その足音は一層近くに聞こえ出してきます。

      で、ふと彼女たちと話してみて,,, なんとなく自分のイズムが注入されているような気がしました。良いのか? 悪いのか? 何で、今日に限ってそんな感覚がしたのやら?  しかし、自分のことを考えてみると、大学生の時はやはり教員の影響を受けていたように思います。4年生の時の先生からは「面白いことをやれ!」、修士課程の時の先生からは「建設的に疑え!」、博士号の指導教官からは「誰にでも誠意をもって、こころ穏やかに!」三者三様の教えを受けたと思っています。別に、各先生から言葉で言われたわけではありませんが,,, 

     そう考えると、自分は、彼女たちに影響を与えているのか? 与えていいのか? 与えた方がいいのか? 何となく責任を感じるところです。 吉田松陰の如く、教え方が良いと、そこから育つお弟子さんたちも優秀になります。自分と吉田松陰を比べるのは不遜ですが、やはり、いわゆる良い教育をしたいとも思ったりした、午後でした。

    「メタバース」から「ユニバース」へ


    2023年1月1日

    2023年が幕を開けました。

        今をさかのぼること30年前の1993年4月に私は、東京大学大学院生命科学研究科の修士課程の門を叩くことになります。東京大学と言えば日本の最高学府と言われる大学です。しかし、私の入学した当時は、e-mailは殆どなく、パソコンも学生一人に一台の時代ではありませんでした。文献を引くにも紙ベースで検索し、大学の図書館へ向かう日々でした。Wordを使って文章を書くなんてこともなく、ワープロがまだまだ重宝がられていました。今日の自分の研究室の机の上を見ると当時と比べて本当に隔世の感があります。

     当方の研究室の学生を見ていると、Instagram、LINEなど毎日のように使用しています(私はおじさんなのでfacebookを使っています)。実際、SNSは無限の広がりを見せています。そして、web上には無数の情報が氾濫しています。仮想空間が現実を支配するが如く、AR(Augmented Reality : 拡張現実) やVR(Virtual Reality:仮想現実)が溢れており、皆さんは知らない間に「メタバース」の世界に引きずり込まれています。

     私が学生だった頃に比べれば、もとい、比べようのないほどの情報が一瞬にして入手できる世界です。でも、私は、彼女たちを羨ましいとは思えません。なぜでしょうか?

     実は、今の大学生の大半は、メタバースの世界から自分の好きな情報を恣意的に選択して得ているからです。だから、好きなことにしか興味を持とうとしません。そして、目的の情報(正しい情報か間違っている情報かは別にして)が瞬時に手に入るので、直線的に物事を考え、無駄を極端に嫌い、直ぐに正解を欲しがる傾向が強いです。私たちは、なかなか目的の情報に辿り着けなかったので、色々な思考を巡らせ、Try&Errorを繰り返し、膨大な無駄を経験しました。その結果、論理的に物事を考えるLogical Thinking を身につけました。だから、私は今の学生さんを羨ましいとは思わないのだと思います。

     管理栄養士の視点に立てば、自分の好きな物ばかり食べていたら何れはどうなりますか? 栄養が偏って健康を害してしまいます。これは、情報も一緒です。関係ないと興味の無いことから目を背けていたら、ユニークで魅力的な人間にはなれません。管理栄養士の仕事の一つに栄養指導という仕事があります。これは、指導を受けるヒトからの信頼を勝ち取らないと、自分の栄養指導を聞いてくれることはありません。何となく皆さんも理解できるかと思います。ヒトの信頼を勝ち取るためには、やはり魅力のあるヒトであって欲しいと思います。

     このため、うちの研究室の学生には、自分に興味の無いことでも一回は真剣に耳を傾ける習慣を身につけて欲しいと思っています。管理栄養士の養成課程では、人体のこと、病気のこと、栄養のことを専門的かつ高度な内容を学ぶことになります。これらの学びは、大学に入ってから初めて触れるものが多いかと思います。しかし、実は全く異なる世界ではなく、基礎となる部分には、高校で学んできた国語(文章読解力)や数学、生物、化学の知識が密接に関係していることに気付かされます。つまり、興味が無いと避けてきた化学や生物の基礎をしっかり理解していないと大学での学びが「砂上の楼閣」になってしまいます。だからこそ目を背けていたことへも勇気をもって飛び込んで欲しいと思っています。大いなる無駄もあるでしょう。しかし、この無駄な時間を包み込んでくれるのが、大学のモラトリアムなのです。

     次にもう一つ。得た情報が、正しいのか、誤っているのかを見分ける思考、Critical Thinking を身につけ、鍛錬して欲しいと思っています。常に物事を建設的に斜めから批判的に見る習慣です。教員が言っているから「正しい」のですか? 権威を持った人が言っているから「正しい」のですか? 特に皆さんが学ぶ栄養学は生物や化学と密接に結びついているので日進月歩で Science は進化しています。私の頃の教科書には当然、iPS細胞の記載は一行もありません。ただ、疑う心は常に建設的でなければいけません。相手の穴探しにばかり注力していては、心が歪んでしまいます。

     このように考えると、ごった返している混とんとした情報の渦に飲み込まれないようにするにはどうしても、Logical に Critical に物を考える習慣を身につけることが必要になってきます。では、どのようにして身につけるのでしょうか? これは、人間を相手に深く議論を尽くすことが重要になってきます。そこには大いなる無駄が出てきますが、これを包み込むにはモラトリアム期間を過ごせる大学がもってこいの「場」になります。私も大学時代の友人とは今でも年に数回飲みに行っています。そこでは、最近の話題、学生時代の話題、多岐に渡って語り合い、理解を深め、新しい発見をしています。大学時代の友人は利害関係がないので生涯に渡る友人になることがあります。4月の新しい出会いが、生涯続くことがあり得ます。その友人とは色んな話題を真剣にとことん語り合ってみて欲しいと思っています。つまり、ヒトを相手にして「ユニバース」な世界観を楽しんで欲しいものです。

     大学生活において right eye で right な判断を、right にして欲しいと思います。もう一つの left eye で right eye を Critical に見て欲しいと思います。今だからこそ、「メタバース」から「ユニバース」へ変換するためにこのモラトリアム期間を大切に使って欲しいと思っています。

     最後に、ここに書いた、私からの皆さんへのメッセージが正しいのか、誤っているのか Critical に見ることから始めてみませんか?

    女子大学の意義


    2022年4月11日

     前学科長を引き継ぐ形で今年の1月から学科長代理を務めてきました。それが新年度から「代理」が取れて正式に学科長に就任しました。
     大学という組織の一員としては、学生の確保、教育の質の向上、地域との連携など重要案件がいくつもありますが、今一番、心にもたげているテーマは「女子大学の意味」です。

    「世の中の大部分は、女の場所ではなくて、女を否定する場所だということ、そして女は、女の場所とは何でありうるかをつかむ必要があるということ − そこに引きこもって庇護されるのではなくて、力を与えられ、みずからの価値と全インテグリティ体性に確信をもって、そこから前進していけるような場所として。わたしはそのとき、それが意味しているのは美しい寄宿舎ホールや庭園があることではなくて、魂をもつことなのだと悟りました。」(出典:アドリエンヌ・リッチ、大島かおり訳『血、パン、詩。』晶文社、1989年、288-9頁)

     

    フェミニズム批評に大きな影響を与えた、アドリエンヌ・リッチ女史曰く、「女性の大学の魂」そのものが女子大学の意義だとしています。では、これを具現化して学生にどう落とし込んでいくか非常に難しい壁に直面します。
     社会が変革し、ジェンダーフリーが叫ばれる現在において、「女性」にこだわる理由は何か? と、正面切って問われると、一瞬、たじろぎます。ただ、自分なりにじっくり考えると、日本だからこそ、女子大学に意義があるかと思ってきています。
     世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)が2021年3月、「The Global Gender Gap Report 2021」を公表しました。「経済」「政治」「教育」「健康」の4つの分野から測られた男女格差、ジェンダーギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)を見ると日本の総合スコアは0.656、順位は156か国中120位(前回は153か国中121位)でした。このスコアは、1.000が完全平等を示します。首位のアイスランドの0.892、先進諸国では、断トツの最下位、ASEAN諸国を見渡しても、かなり低い状況です。つまり、日本では、意思決定機関に女性は殆どおらず、女性のための施策が決定しにくい状況になっています。何不自由なく自由に暮らせると思われる日本社会ですが、女性にとって、実は非常に不自由な社会であることが浮かび上がってきます。
     不自由な社会だから、女性は活躍できないのか? 女性が活躍しないから、社会が解放されないのか? 鶏と卵の関係を解きほぐすことは、難しいですが、アドリエンヌ・リッチ女史の言われた「魂」を植え付けることが重要なのだと改めて気付かされます。
    「魂」=男性優位の日本社会を泳ぎ渡る。この解釈に妥当性があると思って当面は、「女子大学」に誇りを持っていきたいと思います。

    (Vidhyarthi DarpanによるPixabayからの画像)

    今さらですが「傾聴力」


    2021年3月14日

     先日、とある会社の役員様と話をする機会がありました。
     テーマは、将来社会人になる学生に必要なもの。何が必要か、、、色々と話をしましたが、一番大切なのは「傾聴力」ということになりました。

     確かに、振り返ってみると今まで色々なヒトにお目に掛かってきましたが、ヒトの話をトコトンよく聞いて下さるヒトはそんなに多くないように感じます。何故、ヒトの話を聞かないといけないのか。

     傾聴するとは、ただ単純に聞くことに徹するだけではダメです。言葉の意味を理解することは当然ですが、表情や声のトーンなどまで注意を払い、相手の気持ちに寄り添いながら聞くことです。話し手は、聞き手が真剣に聞いている姿勢が伝われば、気分良く話してくれますし、伝えるべきことを的確に伝えるためにより深く話してくれます。円滑なコミュニケーションには必要不可欠です。また、傾聴すると、良い質問、本質を突ける質問が出来ます。質問する力が高まれば、話が弾み、内容が深まります。

     確かに自分を鑑みると、なかなか出来ることではありません。本当にヒトの言うことを聞けていないのかと思います。
     ただただ、本当にヒトの話が聞ける能力を高めたいものです。傾聴力を身に付ける。日々修業です。「ミラーリング」、相手と同じ動き。「バックトラッキング」、オウム返し。先ずは、ここから始めますか。

    読書のススメ


    2021年1月1日

     冬休みは、読書をするのに良い機会です。なぜならば、年末の年賀状や年始の論文など書くことを少し放っておいて、日々忙殺される中、ほんの少しとまとまった時間が取れる良い機会だからです。

     読もうと思って購入した本の山を横目に、久しぶりに「独創は闘いにあり」(西澤潤一 元東北大総長)を読み返しました。具体的には、大学生の時に読んで以来だったのでおよそ30年ぶりに読み返しました。西澤先生は半導体デバイスの世界では顕著な業績を沢山築かれた方です。読み進めると、研究の原点は「憤り」と言うことに気が付きます。何かに対する反骨精神は研究を進める上で重要なことです。今の自分を鑑みると、その反骨精神が薄れつつあることを思い知らされる良い機会になりました。名著は、何回読んでも新たなる気付きがあります。日々忙殺される中で、流されていた自分に楔を指してくれます。

     こういうことが読書の良いところです。なぜ、こんな経験ができるのか、、、元リクルートで「よのなか科」を広めた藤原和博さんの著書「本を読む人だけが手にするもの」の中にもありましたが、読書は、著者の経験を疑似体験できることが素晴らしいことだと痛感します。自分も研究者の端くれと自負していますが、今回の読み返しは、世界の先端を走っていた研究者である西澤先生の思考を疑似体験したことで「刺激」を受けたわけです。

     本を読むと、ものの見方が何となく分かってきます。偉いヒト、権威のあるヒトが言っていることが正しいとは限りません。その最たるものが大学の教員の言っていることです。サイエンスは日進月歩です。自分のこと言うのはおこがましいですが、脂質栄養学を研究テーマにしている私にとって、脂肪酸は血液脳関門を通らない、よって機能性のある脂質は脂肪酸の構造では脳に運ばれないと思っていました。また、そう教えていました。しかし、最近の論文を漁ると、少量の脂肪酸は脳内に運ばれることが立証されています。このように数年前に言っていたことが、もう「嘘」という悪質なものではないですが陳腐化していることはしばしばです。だらか、研究者(教員)は常に謙虚に真摯に学問に接しないといけないし、更に権威に対する反骨精神は失ってはいけないのです。このため、今回の読書は二重の意味で良かったかなと思った次第です。とにかく、大学の先生の言っていることは疑いましょう!

     学生のマインドはそれくらいで丁度良いように思います。

    ここで、唐突ですが、ふと思い出しました。ここの示した2つの世界地図。日本人は左側の地図を見慣れていますが、世界の常識は右側の地図です。この地図を見て、率直にあることを感じ、その感じたことを立証した研究者がいます。その名は、アルフレート・ロータル・ヴェーゲナー(Alfred Lothar Wegener、1880 - 1930)です。彼は、大陸移動説を提唱したドイツの気象学者。現在でいう地球物理学者です。彼は、この右側の世界地図を見て、単純にそして率直に大陸は太古の昔は1つで、これが移動して(引きちぎられて)今の大陸の形を作ったと考えました。確かに西アフリカがカリブ海にはまり込み、南米の東側とアフリカの西側はジグソーパズルのように嵌りそうです。グリーンランドもカナダの東側とスカンジナビア半島と合体しそうです。

     しかし、当時の学会ではウェーゲナーの突飛な発想は到底受け入れられるわけもなく、陽の目を見ずに彼は50歳という若さでこの世を去ります。しかし、彼の死後からおよそ30年経つとマントル対流仮説が登場します。岩盤はそもそも固体ですが、これに強い力が相当量の長い年月加わると可塑変形し、流動性を持つ。この流動性が大陸を移動させた原動力であったとする仮説です。その後、古地磁気学が登場します。地殻である岩石などに残留磁化として記録されている地磁気を解析していくと大陸が移動したと仮定しない限り、立証できないことが幾つも出てきました。この流れによってウェーゲナーの大陸移動説は再評価され、日本だと小松左京さんの「日本沈没」へとつながっていきます。

     失意のどん底でこの世を去った反骨の地質学者の著書「大陸と海洋の起源」が復刻されました。彼を疑似体験するためには、これを読まないわけにはいきませんね。(笑) と、言う感じで冬休み、その次は、春休み、、、そして夏休み。皆さん、出来るだけ名著と言われるものをたくさん読んで、著者の体験を疑似体験してみて下さい。と、いう訳で「読書のススメ」でした。

    アメニモマケズ、コロナニモマケズ


    2020年12月22日

     また、一つ年を重ねました。今年はどこの大学も大なり小なり同じかと思いますがコロナ禍で例年通りの活動が出来ませんでした。当ゼミも夏に実施していた3年生の東京研修(知り合いの先生のラボやメーカーの研究所見学)が出来ませんでした。冬になり巷では、感染者も増えてきて先行きも不透明ですが、研究は " Show must go on " です。

     今、主に手掛けているコリン研究がようやく軌道に乗りつつあります。目標として掲げた2040年の日本人の食事摂取基準にコリンを収載するということが実現できるか否かは別にして、この興味深い、面白い研究を研究人生後半で結実させたいと思っています。そのためにはたくさんデータを出して、たくさん論文をPublishすることです。これを実現させるにはラボの学生さんの力は必要不可欠です。如何せん、学生さんと対峙する自分も若くいられます。これに乗じて頭も若いままなら突飛なアイディアも出てくることでしょう。学生さんには、有形無形で助けられていることを実感します。時には、アホなことを言われて腹も立ちますが、それもご愛嬌で、若い力は偉大です。

     また、これからの1年、学生さん達と共に頑張ってきましょう。今の3年生も来年は東京に連れていければ良いのですが、、、

    Let’s get started.


    2020年8月2日

     研究者である以上、自分の行った研究成果は社会に知らしめて、賛否両論いろいろなご意見を賜るべきだと思っています。耳障りのいいことばかりではなく、批判的に見てもらうことも重要です。と、言うことで自分のラボのホームページを開設しました。覗きに来るヒトが多くても少なくても、あまり気にせず、自分が面白いと思った研究を愚直に粛々と進めて行きたいと思っています。そして、一つでも多くの結果(論文等)を紹介出来ればと思っています。

     Peanutsより "You play with the cards you're dealt, whatever that means."

    これから、このホームページがどのように進化するか、廃れるか分かりませんが、どんな環境にいても、着実に1歩進んで行きたいと思います。

Copyright (C) Ohkubo Lab., Sendai Shirayuri Women's College. All Rights Reserved.